昭和52年10月09日 特別奉修委員



 神様がここだけは、どうでも合楽に御神縁を頂いたならば、分からせもせにゃならん、また血肉にもせにゃおかんと言う様な働きを、いつの場合でも感じますけどね。だからそういう親心と言うものを、本当に悟らなければ、あのそういう神様の思いを、そうだろうなと分らなければ、本気で行ずる気にはなれませんです。例えばこりゃいつ頂いても同じですけれども。
 ほんなら今日の御理解、先ほど波多野さんと話したことでしたけれど、今日の御理解は変わっておると、まあ有難かったと。どこが有り難かったかというと、おまけのところ付録のところだけが有難かったち、言う様な感じがするですね。もう肝心要の例えば今日の御理解でも、もう一番分からせたいところは、何と言うてもあの三宝様を踏むなというとこ。一番大事なことを一番あの、それこそあのメクラが目が開くほどしの素晴らしいことなんだからね。
 例えばほんなら開いとっても、そら粗末にするなら目がつぶれるぞと、いうぐらいな事じゃから。同時にほんならあの、謙虚と言う様な事が、あの心のだから形にも心にも伴うたものじゃならんと言う事やら。一番最後のところですね、今日三つに分けて言った一番最後のところは何でしたかね。あのその三つのところを、どうでも分からせたいと言うのですからね。だからその御理解頂きながら、神様が繰り返し繰り返し、同じ事ばっかりじゃ、あらゆる角度からあのそれを、説いて下さるのだけれども。
 何かなら今日の御理解で言うならば、あの南天の話のとこね。今日のあそこのとこだけを、今日の御理解は有難かったちいうごたるふうな、頂き方をする人がありますけれども、あれはどこまでも付録です。一番最後に。ここんとこを分かってくれよと、そのそこに付録に下さるのですあれは。だからそこの付録と、本当のところを私はいつも、頂き分けれるだけの信心がなからなければ、何時までたっても血肉になりません。
 もう合楽で言うところ、もう何時もこの事ですから。合楽理念の中にある、一番大切なところを必ず説きますけれども、そればっかりいうとったっちゃ出来んし、合楽理念合楽理念と言うても、耳にたこの出来るごとなるだけだから。それでもやっぱりあのそれを新たな味付けで、頂かして下さろうとするね。その親心を悟って自分のものに、いよいよしていかなければいけないと言う事ですよね。
   どうぞ。